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ひめゆり平和祈念資料館は、1989(平成元)年に設立された民間の博物館です。「公益財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団」(略称:ひめゆり平和祈念財団)によって運営されています。
ひめゆり平和祈念財団は、1960(昭和35)年に「財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会」(以下「財団」)として設立されました。財団は、公益法人制度改革に伴い、2011(平成23)年6月に財団法人から公益財団法人に移行し、これを機に現在の名称に変更しました。
「女師・一高女」(じょしいちこうじょ)は、ひめゆり学徒隊の生徒たちが通っていた学校の略称です。「沖縄師範学校女子部(女師)」と「沖縄県立第一高等女学校(一高女)」のふたつの学校をあらわします。両校は同じ敷地内にありました。ひめゆり平和祈念財団は、この両校の同窓生と元職員で組織するひめゆり同窓会が母体となっています。
女師・一高女は、1945(昭和20)年の沖縄戦で破壊され、そのまま廃校となりましたが、戦後、両校の同窓会はひとつになり、ひめゆり同窓会として活動を始めました。同窓生たちは、毎年6月にひめゆりの塔の慰霊祭を挙行し、沖縄戦で亡くなった女師・一高女の生徒と教師を追悼してきました。
学校跡地は、戦後しばらく米軍が使用していましたが、解放されると真和志村の都市計画にもとづいて土地の利用が進められました。同窓生たちは、同窓会館の再建をはかり、同窓会所有地の確保に取り組みました。同窓会は任意の親睦団体で、土地などの財産を所有できなかったため、行政の指導のもと、その土地を基本財産として財団法人が設立されました。財団の理事は同窓会の役員が兼任しました。財団は、経済的に困難な女子学生の支援のため、1983(昭和58)年に沖縄県人材育成財団に基金を委託し、「ひめゆり同窓会奨学基金」を創設しました。
1982(昭和57)年、ひめゆり同窓会は、戦争の実相と平和の尊さを伝えるため、資料館を建設することを総会で決定しました。以来、資料館の設立・運営は、財団の中心事業となっていきます。同窓生たちは、資料館の建設資金を集めるため募金活動に取り組みました。県内外から多くの寄付金が寄せられ、1989(平成元)年6月23日、ひめゆり平和祈念資料館(以下「資料館」)が開館しました。このとき資料館の展示づくりを担ったひめゆり学徒隊の生存者たちは、開館後も資料館を自分たちの手で運営し、証言活動、企画展の開催、書籍の刊行など、さまざまな活動を行いました。
2015(平成27)年6月、同窓生の高齢化がすすむなか、それまで元ひめゆり学徒をはじめ、同窓生が担ってきた仕事を引き継ぐため、ひめゆり平和祈念財団の理事会に、同窓生ではない戦後世代のメンバーが加わりました。また、2018(平成30)年4月には初めての戦後生まれの資料館館長が誕生しました。ひめゆり平和祈念財団の担い手は、戦争体験者である同窓生から非体験者へと変わりつつありますが、ひめゆりの同窓生たちが大切にしてきた資料館の理念は、変わることなく引き継がれています。